”いやだ”という意思表示
発語が遅いお子さんの中には、いやだということの意思表示が出来ずに、本人も家族も大変な思いをすることが多々あります。
それでも嫌なものは嫌なので、
大声を出したり
部屋から逃走したり
泣き出したり
かくれたり
自傷したり、パニックになることも
もし自分が、断る術がわからないとしたら、
人生とてもしんどい、という想像をしてみたい
どんなにつらいか、息苦しいか
それは奇声のひとつも発したくなるかも
そんなお子さんとのやりとりの中で、これって私たちも同じではないかと思ったのでした。
いつも、人に何かを勧められたり、頼まれて、はっきり嫌!て言える(嫌の言い方は別にして)人って、あんまりいない。わたしも含めて。
例えば
残業だって断りたいけど断れないし、、
人の誘いを断るのも結構気を使う
こころの中で、悲鳴を上げたい時だってある。
そう思うと、当たり前のことが出来ないという感覚で療育するのはちょっと違う、意外に難しいことにチャレンジしてるよ、という気持ちになってきます
(周りの大人は姿勢として、子ども達に対し”出来て当たり前のこと”を伝えているという感覚ではなく、実は私たち自身も苦労している点と重なるという事に気づくことが大切だと思います その方が理解し合えるし実践が進むと感じました)
私たちにとっても
嫌な時に嫌な事を断ることが、社会で生きていく上で自分を守るために、もしかしたら、一番大事なことかもしれない
自分がもしNOというのが苦手なら、そこが苦手なんだよな~とまずは自分を受容
もし、苦手ではないけれど、ハッキリ言わないことで自分も周りからもわかりずらくなっているとしたら、NOの大切さを今一度思い出したい
いつもNOといえるわけではないのが現実ですが、NOといえる手段と自由を私たちは持っていることを、子ども達とのやりとりから思い出し、私自身は自分の気持ちが少し自由になった気がしたのでした